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英賀神社の歴史と魅力を巡る旅:古の神々と静かな境内
英賀保駅から少し歩くと、比較的大きな神社があります。境内に入ると、大きな鳥居が迎えてくれ、正面には拝殿が見えます。
拝殿の手前には、姫路市教育委員会による由緒の説明板もあり、その神社の歴史が垣間見えます。周囲は住宅地が広がる静かな場所で、落ち着いた雰囲気が漂っています。
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この神社は、『播磨国風土記』に登場する「伊和大神の子、阿賀比古と阿賀比売の二神」に関係があるとされ、奈良時代以前に創建されたと言われています。英賀の地名は、この二柱の神に由来しているそうで、英賀は伊和族という播磨国の一族の拠点だったと考えられています。
また、英賀神社の主祭神である英賀彦神(あがひこ)と英賀姫神(あがひめ)は、『播磨国風土記』や『三代実録』にも記載があり、播磨地方の重要な神社だったことがうかがえます。特に神社名が地名に影響を与えた例は珍しく、その歴史の長さを感じさせます。
この神社は夢前川の東側にあり、古い歴史を誇ります。社殿は令和になってから新しく建て替えられ、拝殿内にはたくさんの額絵が飾られています。
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室町時代には大きく発展し、「播磨最大の都市」とも呼ばれていたことがあり、1576年には「英賀合戦」として毛利軍と黒田官兵衛の戦いが行われました。黒田軍が見事に毛利軍を撃退したものの、1580年には豊臣秀吉の軍による「英賀攻め」により町全体が焼失したと言われています。その後、英賀城跡には土塁が残されており、神社もその歴史を感じさせてくれます。
また、秀吉が姫路城を築いたことから、英賀は姫路城の始まりの地としても知られています。『日本三代実録』にもその名が見られ、古くから朝廷に尊ばれていた神社の一つだったことが分かります。
英賀神社は、瀬戸内海に面した地域に位置しており、古くから海上交通の要所として栄えていたとされています。特に、神社の主祭神である英賀彦神と英賀姫神は、神代の昔から祭られていたと考えられており、その歴史は非常に古いものだと言われています。
英賀神社は、昔から夫婦和合や創業経営の神として広く信仰されており、室町時代初期には三木右馬頭越智通近が英賀城を整備し、後に天満宮を奉遷して「英賀天満宮」と呼ばれるようになったそうです。残念ながら、豊臣秀吉の攻撃により城は落ち、その後も幾度かの復興がなされました。現在も、氏子たちによる敬神の思いが続き、秋の例大祭には18台の屋台や獅子舞が奉納される華やかな祭りが行われているそうです。