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姫路・飾西の小さな神社、飾西大年神社を訪ねて
飾西大年神社について
飾西大年神社(しきさいおおとしじんじゃ)は、兵庫県姫路市飾西にある小規模な神社で、住宅街の一角にひっそりと佇んでいます。社殿へは階段を上った先に位置しています。
御祭神
主祭神は大年神(おおとしのかみ)で、五穀豊穣や家の守護に関わる神として信仰されています。
歴史と由緒
この地はかつて飾磨郡(しかまぐん)に属し、その後、飾西郡(しきさいぐん)と呼ばれました。神社は夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)の間に広がる神奈備山の麓に鎮座しており、菅生川は南側で夢前川と合流しています。
地域には2世紀頃の遺跡が確認されており、古くから山を崇める祭祀が行われていたと考えられます。また、大年神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神大市姫(かみおおいちひめ)の御子とされ、165年頃に誕生し、185年頃に大和へ東遷したと伝えられています。兵庫県内には大年神を祀る神社が多く、その数は400社近くに及ぶとも言われます。
周辺の歴史的背景
神社の北側には見信山妙見宮(妙見大菩薩)があり、1820年頃に飾西本陣の中山助太夫が開基しました。妙見宮の入口には「為悦衆生故 現無量神力」と記された額があり、これは「仏が衆生を喜ばせるために、計り知れない神通力を現した」という意味があるとされています。
飾西は、かつて山陽道から分岐する出雲街道(美作街道)が通る交通の要衝でした。当社は飾西の氏神とされてきましたが、明治38年(1905年)に火災で焼失し、翌年に再建。その後、平成12年(2000年)には全面改修が行われました。神社の北側には、飾西宿本陣の庄屋・中山助太夫が開いた顕正院妙見堂もあります。
神社の現状
境内には姫路市教育委員会による説明板が設置されており、現在の社殿は平成12年の改修時に、室町末期の様式を模して再建されたものと伝えられます。
氏子地域内には2~3世紀頃の遺跡があり、その時代から地域の東側にある山を神奈備山として崇め、信仰が続いてきたのではないかと推測されています。しかし、明治期の火災により創建当初の記録は失われており、詳細な社歴は明らかになっていません。ただし、境内に残る老杉や大樹の樹齢を考慮すると、相当な歴史を有する神社である可能性が高いと言えるでしょう。
本殿には大年神を祀り、弟神とされる御歳神(みとしのかみ)と共に、五穀豊穣の神として信仰されています。
交通と地域の歴史
「飾西」という地名が文献に初めて登場するのは天暦4年(950年)で、当時から交通の要所として栄えていたようです。因幡街道において、姫路から最初の宿場町として機能し、周辺の村々と共に発展してきました。
平成8年(1996年)3月に自治会総会で改築が決議され、平成11年(1999年)10月24日に仮殿遷座祭を経て、本殿の再建が進められました。平成12年(2000年)9月15日には竣工奉祝祭が斎行され、現在の社殿が完成。再建に際しては、伊勢神宮の第61回式年遷宮の際に使用された古材を譲り受け、本殿の手摺柱などに活用されているそうです。
境内の摂社
境内にはいくつかの摂社が祀られています。
- 祓戸社
- 餝神社(伯楽杜)
- 天満神社
- 金刀比羅神社
また、境内の左手にある小高い丘には「尾崎神社(稲荷神社)」が鎮座しています。
飾西大年神社は、古くから地域の人々に信仰されてきた神社であり、現在も地元の守り神として親しまれています。