姫路城を守り続けた冑山神社の歴史

冑山神社の歴史と由来

創建と由来

冑山神社の創建は永享12年(1440年)と伝えられています。当時、英賀城主であった三木氏は、将軍の命を受け、結城氏の上洛を阻止するため部下をこの地に配置しました。その際、備後の葛西十郎安友率いる一軍と戦い、これを討ち滅ぼしました。この勝利の証として、戦いの舞台となった山に甲冑を納めたことから、「冑山」と呼ばれるようになったと伝えられています。

江戸時代の発展

その後、江戸時代の元禄14年(1701年)、姫路城主として着任した本多忠国が、冑山に社殿を建立し、天照皇大神・春日大神・八幡大神の三神を祀りました。冑山神社は姫路城の裏鬼門に位置していることから、歴代の城主が城の守護神として崇敬し、参拝を続けたといわれています。

手柄山の北側に見えてたのがこの神社だったのですね
KATU
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社殿の変遷

神社の社殿は天保13年(1842年)に一度焼失しましたが、すぐに再建されました。その後、昭和20年(1945年)7月に改めて建立され、さらに昭和41年(1966年)9月には近代工法を取り入れた御神殿が造営され、現在の姿となっています。

境内の見どころ

境内には、側宮として稲荷神社が祀られ、山麓には猿田彦大神を祀る小宮と地蔵堂が併設されています。また、神社へと続く石段は143段あり、玉垣は247本を数えます。石段の脇には、大東亜戦争に従軍した有志によって建立された「和」の石碑が立ち、訪れる人々の目を引きます。

現在の冑山神社

歴史ある冑山神社は、戦国時代から続く武士たちの祈りが込められた由緒正しい神社として、今もなお多くの参拝者に親しまれています。

冑山神社:兵庫県姫路市西延末353

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