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姫路・林田八幡神社の歴史と信仰 – 1300年の伝統を紡ぐ神社
姫路・林田八幡神社(はやしだはちまんじんじゃ)
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所在地:姫路市林田町八幡749
林田八幡神社の創建は、平安時代の寛平5年(893年)にさかのぼります。社伝によると、林田庄内(現在の林田町)の有志36名が、国の安泰と子孫繁栄を願い、京都・石清水八幡宮から八幡神を勧請したと伝えられています。神社の鎮座地を決める際、峰に鈴の音が響き、東の峰には鉾が立ち、西の峰には白羽の矢が立ったことを瑞兆とし、この地を社地と定めたといいます。
境内には全国的にも珍しい相撲場があり、また、毎年2月19日には厄年を迎えた男性たちによる厄除け祭が盛大に執り行われます。この祭には遠方からも多くの参拝者が訪れ、厄を祓う儀式が行われます。
さらに、林田八幡神社には「小烏帽子(こえぼし)」と呼ばれる一族があり、創建に関わった36名の子孫にあたるとされています。彼らは古くから神社の祭事に深く関与し、今もその伝統を守っています。
また、本神社は式内社「中臣印達神社」と関連があるとも考えられています。江戸時代の記録『特選神名牒』には、かつて林田町内の奥佐見村に鎮座していた八幡宮が中臣印達神社と称されたことが記されており、神社の守札にもその名が刻まれていたとされています。ただし、現在では当時の注進状や守札の実物が確認されておらず、旧地の正確な位置も不明となっています。そのため、林田八幡神社が中臣印達神社の後継であるかどうかについては、明確な証拠を欠いています。
林田八幡神社は、江戸時代には林田藩の祈願所としても篤く崇敬されました。藩主・建部氏は代々この神社を産土神として信仰し、歴代藩主による石灯籠や絵馬の奉納が現在も境内に残されています。また、延元元年(1336年)には、新田義貞が戦勝を祈願して「神祇」と書かれた額を奉納したと伝えられています。この額は弘法大師の筆によるものとされ、貴重な歴史遺産のひとつです。
加えて、戦国時代から江戸時代にかけて、池田輝政をはじめとする武将たちがこの神社を信仰し、木製の高麗狗(二体)を奉納した記録も残っています。
現在も地域の人々によって大切に守られ、年間を通じてさまざまな祭事が執り行われています。林田町の歴史とともに歩んできたこの神社は、今なお多くの人々の信仰を集めています。